Gallery Wanderlust




5月20日(日)


「よみがえる日本画」 東京藝術大学美術館




日本画の保存・修復技術の紹介・解説と模写作品の展示を中心とした展覧会。
横山大観や速水御舟などの手による模写作品は、単に写しただけでなく模写のレベルを越えて崇高な精神性が感じられる。それも美術学校在学中か20代での仕事である。しかししかし…その他無名の修復に携わった職人や作家たち…彼らの仕事が後の巨匠たちの仕事と比べて決して色あせて見えることはない。

今月号の芸術新潮でバルテュスの特集があったが、その中でバルテュスがわたしは芸術家という言葉が嫌いだ。『芸術家』という言葉は、『個人主義』と『個性尊重』の同義語だが、この二つの概念が現代社会では巾をきかせている。…まずなすべきことは、自分自身を忘れ、個性なんてものはさっさと捨ててしまうことだ…重要なのは無名性である。というもの、個性を信じているかぎり、ひとは何をどうしたらいいのかわからなくなってしまう。なるほど『自分自身に忠実であるべきだ』とはよく耳にする言葉だけれど、でも自分自身って何なのか?自分のことをほんとうにわかっている人間なんているのかしら?…近代性というものが絵画芸術に悲劇をもたらした。個人としての芸術家が出現し、昔ながらの絵画術が消滅したのである。以来芸術家はその限りある内面性を重んじ、絵画を自己表現の手段にしてしまう。偉大な絵画とはほんらい普遍的な意味をそなえていなければならないのに!残念ながら今ではもう、絵画のそうした本質は見失われている。だからこそわたしは絵画にあの失われた普遍性と無名性を取りもどしてやりたいのだ。無名性をおびればおびるほど、絵画は本物になるのだから。…と語っていたが、有名、無名に関わらずこのような優れた「技術」を眼のあたりにすると、なるほど僕もバルテュスの意見に全く同感だ。

最近では現代美術の作家を中心に肩書きが「画家」「彫刻家」ではなく「アーティスト」と名乗る場合が増えている。
絵画や立体という表現の枠を越えてその創作活動がトータルな視覚芸術に及ぶ場合、「アーティスト」という言葉が創作者の肩書きとして、よりぴったりくるのかもしれない。しかし、どこか大仰でこっぱずかしい感じもする。他の芸術分野でも同じで、「アーティスト」より「建築家」「写真家」「書家」「歌手」「詩人」…といった肩書きの方が潔くて断然かっこいい。「アーティスト」、「芸術家」というフレーズはすべての創作に関わる人々の志や精神のようなものであってレオナルドやミケランジェロ、モーツァルトやレノン&マッカートニーのような超人的な天才以外はどうもしっくりこない。

「技」や「伝統」を否定することが、とくに20世紀の近代芸術の根底にあった。そして、それがあらたな価値観や発想のエネルギーになったことは確かである。
しかし、すべての作家と創作作品が「アーティスト」や「アート」という言葉でひとくくりにされたとたん、その存在と仕事はひどく薄っぺらいものに感じてしまうのも確かだ。
「アーティスト」になりたくてもなれない者のひがみかもしれないが、伝統を守り、継承することに全力で立ち向かった若い力の精華とバルテュスの言葉に時を同じくして出会い、伝統に裏づけされた熟練の技と感性があいまってこそ真の普遍的な芸術作品が生まれると思った。
そして、ペラペラでポコポコした文化ばかりになってしまった現代社会において、伝統や継承技術の重要性を今一度を真摯に受け止めることは、これからの21世紀、何かモノ作りを始める上で非常に大切なことではないかとも強く思った。