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| 5月2日(火) 今年2000年はフェルメールブームだ。少し前までは日本でフェルメールといえば少しマニアックで、あまり一般的ではなかったのではなかったかと思う。フェルメール関係の書籍も探すのに苦労したような気がした。 それが去年くらいからどこの書店でもフェルメール、フェルメールである。数少ない作品を残して夭折した 謎の画家というイメージがここにきて広く定着してきたようだ。 5年くらい前、オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館でフェルメールの回顧展を見たときは、アムステルダムから切符を買うために並んでいる人がみんな口々に「The Hgue!(ヘイグ!)」と叫んでいてデン・ハーグの小さな町が万博でも開かれているが如く人で溢れていたけれど、さすがにここ大阪でもフェルメールで盛り上がっていた。 それにしてもこの大阪で最もディープな天王寺で「真珠の少女」がまた見れるとは… この意外性がたまらない。 天王寺の大阪市立美術館はマウリッツハイス美術館と同じくらい好きな美術館だ。 公園の中にあって、動物園があって、一見すると上野のロケーションににているが、上野公園の文化・芸術の薫り高き雰囲気に比べると、おっちゃん達がごろ寝している以外、天王寺公園はまったく正反対の雰囲気だ。しかしそんなことは関係なく、真ん中で堂々と構えているところが非常に良い。 それにしても、この美術館の最大の弱点はこれまで「見たい!」と思う展覧会がめったになかったところだ。平成館ができてから次々と大きな企画展を成功させている東京国立博物館とは対照的だ。でもそこが日本一美しい甲子園球場で、日本一弱い野球を毎年繰り返している我が阪神タイガースのようで憎めない。それにしても、僕はこんなに人がたくさん来ている天王寺美術館を始めて見た。企画した大阪市立美術館の学芸員の方々もきっと大喜びだろう。 あと、これだけ超国宝級の作品を貸し出してくれるオランダ人の寛容性にはいつもながら感動する。日本もずっお世話になっていたのに幕末になって、突如イギリスやドイツに寝返ったりしなければ、オランダのように国土は狭くてもても心の広い穏やかな国民性になれたかも…。 デン・ハーグではフェルメールを見たあとは非常に美しい美術館の外観を眺めたり、展覧会特設のカフェでお茶したり、川辺でスケッチしたり、フェルメールの生まれ過ごしたデルフトまで一足伸ばしたりしたけれど、大阪でのフェルメール展の後は、美術館の近くで気持ちよさそうに歌うおっちゃん・おばちゃん主催の歌謡ショーと、ジャンジン横丁での串かつとビールが待っていた。こんなに贅沢していいのだろうか… ホンマしあわせ…。身も心もお腹いっぱいで新世界あとにした…。 |
| 5月21日(日) 松涛美術館は渋谷の東急百貨店から少し入った静かな住宅街の中にある。水が流れる音が心地よく、落ち着いた雰囲気でじっくり鑑賞できる。 石井柏亭という画家は、東京国立近代美術館で1点見たことがあるくらいでほとんど知らなかったが、偶然見かけたポスター(家族麻雀をやっている風景の絵)を見て惹かれた。これは絶対行かなければと思いつつも、最終日にやっと来ることができた。全体的な印象は、「日本の良き時代の良き油画を満喫できた」に尽きる。 朝鮮人少女を描いた「厨」、防止の黒とコートの襟の茶色のバランス感が見事な「外套を被たる女性」、セザンヌの「カード遊び」を連想させる「将棋」やイタリア各地での水彩スケッチなど…全体を通して独特の温かみと落ち着きを持った色彩で統一されている。 僕の場合、日本画を見るときポイントになる色が藍や群青といった「青」であるのに対して、油画はバーントシエナやローアンバーといった「茶色」だ。モディリアーニや小出楢重、有元利夫、みんな茶色使いの名手だ。石井柏亭の戦前の作品を支配している色彩もやはり「茶色」である。しかし戦後になると、きれいにまとめられているが、あの戦前の茶色へのこだわりはなくなってしまったのか、あっさりしてしまっている。 これは、作家自身の変化もあるだろうが、戦後、日本の色がどんどん変わっていったことも原因してるのではないだろうか…。戦後の日本は、まるでそうすることが明るい社会になると信じていたかのように、蛍光灯でどこもかしこも照らしまくって無理やり影をなくしてしまった。(影があってこそ光の美しさを感じるのに…)そして、現代の日本を代表する色は深夜のコンビに煌々と光る蛍光灯のしらけた「青白さ」だ。 ヨーロッパでは今でも白熱灯やろうそくの明かりを大切にしている。飛行機から夜景を眺めたとき、東京や大阪は青白いのに、ローマもロンドンもオレンジ色だった…。白熱灯に照らされた茶色はきれいに発色するけど、蛍光灯だと濁った色になる。茶と青は決してきれいに混ざらない…。戦前、石井柏亭が追求した温かくてほっとする「茶色」は彼がモチーフとした「家族」や「身の回りの人々」と密接な関係があったように思う。戦後は「茶色」を描きたくても日本社会からどんどん「温かみのある光」が排除されてしまい、仕方ないので自然の風景ばかりになったのではないだろうか…。 |