Gallery Wanderlust




11月18日(火)


「劉生と京都『内なる美』を求めて 〜京都市美術館〜



緊張感の持続というのは、様々な分野で難しいことだと思うが、芸術に限っていえば鑑賞者が緊張感を持続できるということはきわめて重要なことであると思う。
美術などの展覧会でも、いい緊張感が最後まで持続する企画は、見終わった後に多少の心地よい疲労が残り、実に気持ちいいものだ。

関東大震災で罹災した岸田劉生は、1923年10月に京都の南禅寺近くに引っ越す。
それから1926年の3月に鎌倉に居を移すまでが、彼の「京都時代」である。
「お茶屋遊びと古美術収集に明け暮れた」といわれるこの時代の作品と「岸田の首狩」といわれていた頃、北方ルネッサンスとアルブレヒト・デューラーの影響を受け、「どこまでも見抜いてやろう」という気迫と洞察力が卓越した描写力通して伝わる初期の肖像画の数々を同時に並べた際、果して観客はどれくらい緊張感を持続して鑑賞できるかなと思いつつ会場に足を運んだ。

予想通り、初期からから震災前に描かれた肖像画、風景画と数点の「麗子像」で一つ目のコーナー、震災後京都に移ってからの作品で二つ目のコーナー、そして「京都時代」の劉生と交遊のあった京都画壇の作家の作品が三つ目のコーナー、その間に写真や手紙、日記などの資料が展示されている。
肖像画や風景画の中にも劉生以外の作品がポツンポツンと混じっていて、筆力の違いにやや違和感を感じる。写真や手紙、特に日記は弟子の安井巳之吉のものとあわせて、当時の劉生の生活と心境が垣間見えて興味深かった。
後半の京都画壇の日本画作品はほとんどが京都市美術館所有のものばかりで、ここで完全に緊張の糸がほどけてしまった。
というのも、木村斯光や榊原紫峰の作品は劉生との関わりやエピソードが解説されていて、展示の意図が把握できたのだが、まったく解説がされていない作品も多く、途中で常設展示に迷い込んでしまったのかと勘違いしたほどだ。突然、土田麦僊などの作品が出てきても、麦僊とどれだけ関係があったのか全然理解できないまま進むしかなかった。最後に小出楢重の作品もあり、「東の劉生、西の小出…」というような解説を付けてあったが、企画の本筋からはやや離れているような気がした。

展覧会を見る前にお寺めぐりをしていたので、その疲れもあったが、前半は「劉生自身の作品の緊張感」により心地よく鑑賞できたが、後半は生粋の江戸っ子の劉生と京都画壇の関わりや交わりの輪郭がいまいちはっきりしないまま終わってしまったような気がして、残念だった。








11月22日(土)


レット・イット・ビー...ネイキッド 〜ザ・ビートルズ〜



使い古された言い方もしれないが、「シンプルなモノ」は時として力強く、美しく、雄弁である。 美術でも文学でも、もちろん音楽でも…。
余計な表現を剥ぎ取ってゆき、「裸」に近づけることにより、真のコンセプト、真理が現れてくるのかもしれない。
人間でいえば、「裸体」の完成されたフォルムに美しさと普遍性をいち早く認識し、表現した古代ギリシャ人、そのコンセプトを継承した古代ローマ人、そして千年後、「キリスト教」という衣服でぐるぐる巻きにされた人間を「再び裸にする」ことにより古代の真理を見出そうとしたルネッサンス人…。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の「天地創造」の腰布の書き足しと消去に代表されるように、芸術の歴史は「裸にする」ことと「衣服を着せる」ことのせめぎ合い、その繰り返しであったように思う。

映画「レット・イット・ビー」を始めて見たのは中学二年生のときだった。
ポールは髭面で、やる気のないメンバーに対して叱咤激励するあまり、イライラしてジョージに辛辣な言葉を浴びせたり、それをジョンが仲介したり…リンゴは終始仏頂面、幽霊のようなヨーコ…。
そんなシーンが頻繁に出てきて、決してイメージはよくなかった。あれ以来アルバム「レット・イット・ビー」はあくまで映画のサントラのイメージが強く、アルバムを通して聞くと鬱屈とした気分になった。

今回、そんな映画のイメージも払拭された。まるでもやが晴れてきれいな山の稜線がくっきり見えたかのようだ。ビートルズの最新作「レット・イット・ビー...ネイキッド」は、タイトルどおり「裸のレット・イット・ビー」なのだ。
ここには「ヘルプ」の実験性、「ラバーソウル」の明暗の対比、「リボルバー」、「サージェント・ペッパーズ…」の革新性…そういった形容は一切ない。あるのは「ビートルズとしての真理」なのだ。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター…ギター、ベース、ドラムス、ピアノ…彼らの手による最小限の楽器編成で構成された「ロック」はまさにその真理とは言えよう。その真理を表現するがため、ある意味重たかった「フィル・スペクターという衣服」を脱ぎ捨てた。
ゲスト・ミュージシャン、ビリー・プレストンのエレクトリック・ピアノでさえ「残った唯一の衣服」というより、「裸のフォルム」をより明確に映し出すスポットライトのようだ。

リミックスされた音の方はというと、「これでもかーっ!」と言わんばかりに音がぐんぐん前に出てくる。フィル・スペクターのアレンジも決して嫌いではなかったけど、今回のを聞いてしまうと、力強さの違いは歴然としている。

とにかく「裸のビートルズ」はこの上もなく力強く、美しかった。
これこそまさに「シンプルなモノ」としてのロックである。