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| 4月14日(水) 17世紀の画家フェルメールの描く「崇高なる光と影」、「静寂かつ雄弁な色彩」が21世紀の現代の技術と感性によって見事に映像化された作品だ。
特に、アトリエの窓から差し込む光によって刻々とその表情を変える人物やモチーフ、少女のターバンの色に代表される「ラピスラズリ」と呼ばれる光り輝くブルーの再現には、美術史も学んだピーター・ウェーバー監督は、ことのほか神経を配っていたように見えた。
映画「アマデウス」の中でもモーツァルトが父と妻が口論する部屋から離れて、スッと一人きりになったかと思うと、おもむろにビリヤード台の玉をころがしながらスコアを書き始める…。天才の創作現場のワンシーンを垣間見たように感じた。
ストーリーはフェルメールの代表作のひとつである「真珠の耳飾りの少女」をテーマにした完全なフィクションだが、この作品でも芸術家をとりまくそんな「俗と聖」の対比の描き分けがうまく表現されている。 当然舞台は、現代のように決して清潔で落ち着いた佇まいとはいえない喧騒とした17世紀オランダの町、デルフト…。 夫の仕事に理解のないヒステリックな妻、妻よりは審美眼があるものの、金のことしか考えていない妻の母、そこら中を走り回る6人の子供たち…。屋敷でのフェルメールもきっと心が休まらなかったのではなかったと思うが、一歩アトリエに入ると、そこにはフェルメール絵画そのものが再現されているような静寂かつ神聖な創作の空間が広がっている。
騒々しい日常的生活を離れて、自己の芸術世界に身を置く画家の聖域へ足を踏み入れることにより、最初は戸惑いながらも次第に作品に関心と理解を示したヒロインの少女グリートと、彼女から芸術的インスピレーションを受け、新たな作品に取り掛かるフェルメール…二人の関係が「主人と奉公人の情事」と「創作者とそれを理解する者のひたむきな情熱と集中力」の間をギリギリの線で彷徨し、ある意味セックスの絶頂にも例えられるような「名作」の完成へと昇華してゆく。その課程は濃厚かつ貴賓あるエロスとスリルを存分に感じさせてくれた。
この物語とは別として…
実際のフェルメールの生活環境がどのようなものだったかは、想像の粋を越えないが、フェルメールの死後、妻は夫の作品の散逸を防ぐためにかなりの努力をはらったようなので、映画の中ほど夫の芸術に無理解ではなかったように思える。
また、生活にやや疲れ、神経質で自分の世界に引きこもっているように描かれているフェルメール自身も、デルフトの画家組合の役員をやっていたりした記録もあるので、日常生活ではもう少し社交性のあるオランダ市民ではなかっただろうか。
映画では決して「居心地のいい家庭」としては描かれていなかったが、夫婦の間に通い合う絆や家庭環境が精神的に豊かでなかったら、短い生涯で結果として合計11人もの子沢山にはならなかったであろう。
芸術家としてこだわりと探究心を抱きながら、自らの仕事を成し遂げただけではなく、経済的には困窮し、時には女房や義母、子供に手を焼きながらも、一生活者としても幸せであったのではないか…。
僕はフェルメールの作品を見るたびにいつもそう思うのだ。 それにしても、実物の「真珠の耳飾りの少女」 にまた無性に会いたくなった。
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| 4月15日(木) フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」は、僕が1996年にヨーロッパを訪れた際に、所蔵しているウィーンの美術史美術館へ行ったら、貸し出し中になっていた。現在はどこに行っているのかと係員に尋ねると、「ハーグだ」との答えが帰ってきた。その後ハーグで見る予定だった「フェルメール展」では、「確かこの作品はリストに入っていないはずだったのだが…」となんとも不思議に思いつつもその場を後にした。そして結局、アムステルダムの国立美術館でも、ハーグのマウリッツハイス美術館での大規模な「フェルメール展」でも、この作品を目にすることはなかった。
あのとき、「画家のアトリエ(絵画芸術)」は一体どこへ行っていたのだろうか…。 僕は、これが見たくて再びウィーンに行きたいと真剣に考えていたくらいだから、 とりあえす今回、東京での展覧会開催を知ったときは、なによりもうれしかった。 展覧会開催初日の朝8時半過ぎに行くと、門の前に既に観客が少し並んでいたが、予想していたほどではなかった。開館と同時に一目散に目当ての「画家のアトリエ(絵画芸術)」へ。それは2階の一番奥、最後の展示だった。 僕が一番乗りだった。美術館の係員の人たちがまだ作品を見ていた。 しばらくの間、作品と一対一の贅沢な空間と時間が流れる…。 新聞の取材か後方で何度もシャッターの音がした。 そんな音もやがては耳に入らなくなるほど、画面の中に入り込んで行った。 その後もそれほど混雑することもなく、他の作品群を鑑賞してから再び戻ってきても、尚且つゆっくりと見ることができた。 「画家のアトリエ(絵画芸術)」はフェルメール作品の中でも大きい方だが、やはり、ルーペを持ってくるのを忘れたことを後悔した。当然ギリギリまでは近づけないので、細かいディティールを観察するにはひたすら目を凝らすしかなかった。神戸での展示もあることだし、細部のチェックは次回にしようと考え、今回はなるべく作品全体の印象をとらえることに徹した。 あと、ニューヨークのフリックコレクションや盗難されて現在行方不明の「合奏」など、まだ見ていない作品も数点あるが、ヨーロッパの美術館が所蔵しているフェルメール作品は、 これですべて見たことになった。 |