Gallery Wanderlust




11月17日(金)

「伊藤若冲展」 京都国立博物館



伊藤若冲という画家を初めて知ったのは、今年の1月に東京国立博物館で開かれた「皇室の名宝」展で「動植綵絵」という鳥や植物を中心とした超細密画のシリーズを見たときだ。そのときの第一印象は、今回の展覧会のキャッチフレーズにもなっているように「こんな絵かきが日本にいたのか!」という新発見の喜びであり、「日本画の絵具でここまで描き込めるのか!」というこれまで見たことのない写実性と描写力に対する驚きであった。一言に「写実」や「描写力」といっても若冲はハンパではない。もう完全に行くとこまで行ってしまっている。牡丹の花びらの一枚一枚、葉脈の一筋一筋、鶏の羽根の一枚一枚、人間の観察力の限界を越えた「鬼の描写力」だ。

そんな若冲との衝撃的ともいえる出会いから半年…回顧展が秋に京都であると知ったときから、それはもう楽しみで仕方なかった。実際に展覧会を見て、まず感じたのは、まずその圧倒的な作品の量だ。京都錦小路の大棚の青物問屋に生まれ、弟に家督を譲り、画業に専念し始めたのが40歳を過ぎてから…85歳まで生きたので活動年数は40年以上だが、それぞれが密度の濃い作品ばかりなので(当然展覧会場にある作品がすべてではないだろうし)すさまじい創作意欲を晩年まで保ち続けていたに違いない。

「動植綵絵」のような写実作品以外にも水墨画の特質を生かしきった「菊花図」、「葡萄図」、「朝顔図」や居合抜きのような鋭いタッチが快い緊張感を生み出す「月下梅花図」、「梅花図」。自然主義に徹した若冲には珍しく哲学的な「野晒図」といった味のある作品群からは、決して空間恐怖症の作家ではなかったことがよくわかるし、禅宗絵画ではおなじみのキャラクター「寒山拾得図」や、子供に頭の上に乗っかられながらも布袋さんの優しい表情に心和む「布袋唐子図」などからは、若冲という人は確かにちょっとオタク的なところもあるけど、きっと温かい性格の持ち主でもあったたんだなと納得してしまう…。また、臼や茶碗、茶釜などが、ユーモラスな表情で擬人化されている「付喪神図」や「菜虫譜」に登場するカエルなどに至っては、もうほとんどポケモンキャラクターみたいで楽しい。後ろでおばちゃんが「あのカニはでかい。高いで〜」と言っていた「猿蟹図」や恍惚状態の表情に思わず吹き出してしまう「猿図」など…本当に幅広い技量を持った画家だったと感心すると同時に、ユーモアセンスにたけた人であったと思う。(「動植綵絵」だけを見ていたら神経質で気難しいオタクと想像してしまうが…)

日曜美術館で現代美術家の村上隆が「動植綵絵」を見て、「この時期、若冲は対象をスキャニングしていた」と言っていたが、簡潔でわかりやすい表現だと思う。「動植綵絵」にとりかかる前、若冲はお寺の庭に鶏を放して来る日も来る日もじっと眺め続けていたという。そして、それを一年間続けてからようやく写生を始めた。一年間己の目でスキャニングしていたのだ。若冲の目がスキャナーだったとすれば、ただのスキャナーではない。超ウルトラ高解像度スキャナーだ。一年間かけてスキャニングされた画像は彼のハードディスクに保存され、その後、先に挙げたような様々なスタイルにグラフィック加工してから作品としてプリントアウトしていったのであろう。

そして、若冲の作品群を前にしてもう一つ感じることは、対象に対する愛情である。鳥や花、木々、野菜、魚、猿、犬…すべての対象に優しいまなざしが注がれている。それは晩年になるにしたがっていっそう深まっていったようだ。
絵を描くことはまず何よりも対象を観察すること…。観察することは、対象の本質に迫ること…。そして本質に迫るためには、何より対象に対する「愛情」が必要なのではないか。伊藤若冲はきっと良寛さんみたいな人だったのでは…。そんなことを最後にふと思った。
3時間以上鑑賞したため、痛くなった足を引きずりながらも、もう一回りしてから、庭園とレンガ建ての外観を持つ建物のコントラストが美しい京都国立博物館を後にした。








11月17日(金)

「小出楢重展」 〜京都国立近代美術館



この人にあと20年、せめて10年の命があったらどんな作品を残していただろう。また、その作品が後世の人にどんな影響を与えることになっただろうか…。そんなことを夭折した作家の作品に接するたびに考えてしまう。
ラファエロ・サントス37歳、ピーター・ブリューゲル40歳(?)、ヨハネス・フェルメール43歳、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ37歳、アメディオ・モディアーニ36歳、小出楢重43歳、有元利夫38歳、ジョン・レノン40歳…。たまたまであるが、自分の好きな夭折した芸術家をこうして思いつくままに挙げてみると、30代後半から、40歳前半ばかりである。ちょうど今の自分の年齢にあてはまるので、改めて「俺は何をやってんのか?」と考えてしまうが…。


短い生涯のなかでもその才能と技量によって、圧倒的な「質と量」を残したラファエロやブリューゲルは別格として、みんな長い苦闘やスランプの末、明るい展望が開けてきたとたんに世を去っている。ビートルズ解散後オノ・ヨーコの影響で平和・反戦活動をしたり、ハウスハズバンドなんかをやっていたりしたジョン・レノンの70年代はどう考えてみても、もがき苦しんでいたように見える。そして音楽活動を再開した直後の死…。有元利夫は電通を退社して、安井賞受賞後も順調に見えた創作活動の裏側で、本人は長く苦しんでいたことが日記から窺える。フェルメールにしても晩年は少しパターン化されて、「デルフト眺望」や「ミルクポット」のような冴えがなくなったというような解説を目にしたこともある。芸術家にかかわらず、人間は誰でも人生において長い苦闘やスランプを乗り越えた末に、新境地を見出すことが1回や2回はあるものだろうが、彼らは新境地を見せぬまま、あるいは新境地のほんのイントロ部分だけを残して逝ってしまったのだ。
ここにもし100年命があったら、10年づつ振り分けてあげたい。50歳になったフェルメールやジョン・レノンが、どんな作品を作っただろうか…。考えてみても仕方がないことであるが、残念でならない。

そんな思いが小出楢重にもあてはまる。
東京美術学校卒業後、画家が自己の作風を完成させるためには、長い時間を要した。卒制の自画像から始まり、有名な「Nの家族」を描いた後も風景、静物、花、家族や子供…様々なモチーフに挑んでいるが、小出自信が確かな手ごたえを掴むには至っていなかったのではないだろうか…。フランス滞在中の作品に精彩が欠けるのも小出のそんな焦りやイラつきがあったのかもしれない。当時のフランス、特にパリへの渡航は美術を志す者にとって、今よりはるかに憧れの的であったことであろう。小出も意気揚揚と出発したに違いない。しかし、実際のパリの町は小出の創作意欲をかきたてるものではなかったようだ。パリでは下宿やホテルの窓から街を見下ろした作品が多いが、小出の「おもろない、退屈や…」と言う声が聞こえてきそうだ。博物館や美術館にある作品には刺激を受けても、その当時のパリにはまったく共感できなかったのかもしれない。

そして長い試行錯誤の末、たどり着いたのが晩年の裸婦のシリーズではないだろうか。始めた当初こそ対象に対してのぎこちなさも感じるが、短期間にものすごいスピードで頂点に登りつめてゆく。「前向きの裸女」、「支那寝台の裸女」などは、卓越した描写力と色彩感覚が光る傑作だ。日本の近代西洋画の中で、最も造形的に完成された裸婦像であると思う。
最晩年、アトリエ近所の芦屋浜風景を描いた作品は、この数年間、油画とガラス絵による裸婦制作に全精力を注ぎ、納得のゆく仕事を完成させた画家の精神的な充実感が感じられる。パリ滞在中の風景画とはまったく異なった気持ちのゆとりのようなものが適度に力が抜けた画面から伝わってくるのだ。芦屋の風景画は先に述べた小出の新境地のイントロだったのかもしれないし、大仕事をやってのけた後のブレイクだったかもしれない…。いずれにしても、もうそれを知る由はないが…。

美術館のエントランスで上映されていた小出生前のホームムービーでは、子供と一緒に雪合戦に興じたり、ボートの上ではしゃいだり、当時としてはハイカラな西洋風スタイルで食事を楽しんでいる姿など、小出家族の日常生活を楽しむ風景が窺える。映像の中の画家は、自己の芸術を追及し、格闘し続けてきた芸術家というより、どう見ても「大阪のキサンジなおっちゃん」である。
この時代、まだ西洋画技法が伝わってまだ60年そこそこ…。西洋の近代美術に追いつけ追い越せという使命感がすべての画家の中にいまだ大きく存在していたと思う。そんなプレッシャーのなかで仕事に取り組みながらも、家族を愛し、人生を楽しみ、ユーモアを忘れなかった。そんな愛すべき良き大阪人、小出楢重…。
やはり、あと10年生かせてほしかった…。







11月25日(土)

「アンジェラの灰」 シネマ・カリテ1〜



アラン・パーカー監督の最新作。

舞台は大恐慌時代の1930年代から第二次大戦前後にかけてのアイルランド南西の町、リムリック。
ニューーヨークから引き上げてきた主人公のフランク・マコートとその両親、兄弟はこの町に移り住むことになる。
来る日も来る日もどしゃ降りの雨、排水や下水施設のない路地は雨水と汚水で溢れる…。たまにやんでいる時でも雲は低く垂れ込め、近くのシャノン川から吹く冷たい風による湿気が町全体を包む…。トイレもなく、一階の室内にまで浸入する汚物と汚水にまみれた極貧の生活。雨と湿気は抵抗力のない乳児や老人、肺病患者の命を容赦なく奪い取ってゆく。映画全体を支配しているこの雨と湿気が、ほとんどが色彩を抑えたセットとあいまって、この時代、この町に暮らす人々の過酷な生活をリアルに表現している。
フランクは家族に入れる収入を飲み代に使ってしまい、ついにはギリスへ出稼ぎに出たまま戻らなかった父を心の底では思いながらも、残された弟や母のために学校を辞め、必死に働く。
やがて、彼が家族のために収入を得るため再びアメリカへ旅立つところで映画は終わるが、原作ではこの後のフランクを描いた続編があるので、いずれまた映画化されるかもしれない。

特に印象に残ったのは幼年時代のフランクを演じたジョー・グリーンという少年。15,000人のオーディションから監督自らが選んだ演技経験のまったくない子役らしい。この作品で執拗なまで繰り返し表現されている劣悪な環境と絶望的な生活の中でも、自らの人生を嘆くことも無く、気高く生きる少年…。言い方が適切でないかもしれないが、「尊厳のある育ちの悪さ」みたいなものがにじみ出ていて圧倒的な存在感があった。10代のフランクを演じていた演技経験のある他の二人は、この少年に比べると「こぎれい」なのだ。外国映画における子役の扱い方の丁寧さが良く現れている例だと思う。

ベストセラー作品の映画化は難しいと思うが、アラン・パーカー監督はハリウッド映画とはまた違った「イギリス的な気配り」を映画の隅々まで利かしている。そして演技派の俳優陣、特に母親アンジェラ役のエミリー・ワトソンが過酷な人生に翻弄されながらも時に女性的な艶っぽい表情を見せ、また時には母親として毅然とした態度をとるところなど非常にキュートだった。やはりアメリカ人女優にはない魅力だと思う。
原作本はまだ読んでいないが、おそらくイメージを綿密に検証し、脚色されたと想像できる。緻密な演出と丁寧な映像効果の作りこみ、達者な演技者たち、子役の健闘…すべてがうまくかみ合った秀作だ。







11月26日(日)

「1」 〜ザ・ビートルズ〜



ビートルズの究極のベストアルバム。

個人的には「Song track」のあとは、「Oldies」をぜひ再発させてほしかったけれど、ビートルズ2000年のニューアルバムは英米でナンバワンヒットになったシングル曲ばかり集めた最強のベストアルバム…と言われている「1」となった。でも、ちょっと待って。なんで「Please Please Me」が入ってないの?あの曲がビートルズ初の全英NO.1ではなかったのでは…?

1年前の「Song track」の登場は、映画「オズの魔法使い」で視界がモノクロからカラーに変わっていくシーンのように、ビートルズの今までの楽曲イメージを鮮やかに変貌させてくれた。僕にとって新鮮かつ衝撃的なアルバムだった。
僕(1962年生まれ)の世代はビートルズのアルバムやシングルをリアルタイムで体験したことはない。物心ついたときに解散に至っていたからだ。「Revolver」「Abbey Road」もみんな追体験だった。しかし、「Song track」は僕にとって初めて聞くビートルズのニュ―アルバム(新曲)であった。(「Anthology」の2曲は自分の中でどうしても新曲として勘定することができない。)

「1」 も「Song track」でリミックスを手がけたピーター・コビンによるニューリミックス版であるものとばかり思っていた。
あまりにも変貌を遂げたその音に、オールドファンがアレルギー反応を起こしたのか。アルバムに入っている楽曲がマイナーだったのか。チャートも振るわなかったのだろうか…。しかし、今回は文句なく世界中でNO.1を記録している。
でも、せめて「All Need is Your Love」や「Eleanor Rigby」などは今回のアルバムにもリミックス版として入れてもよかったのでは。他曲とのバランスもあったのだろうか。

やはりNO.1になったことは、さすがビートルズと誰もが認めるところだが、作品としての「衝撃度」においては少し物足りなさが残った1枚だった。